浅江地区の氏神様として、正月の初詣・節分祭・シャクナゲ祭・秋季大祭などの行事には、多くの地元の人達がお参りし賑わっています。
かっては、平岡台から下る峰続きで、周囲は沖積湿地だったといいます。そして、浅江神社の鎮座する場所を宮崎と言っていました。お宮が鎮座してから宮崎と言ったのでしょう。
ここには加茂大明神(祭神、別雷命ほか2柱)と山王八幡宮(祭神、応神天皇、神功皇后ほか2柱)の2社があり、これに山王原の1社(祭神、大山咋命)を併せて明治4年に浅江神社の名称になりました。
加茂大明神は、山城の国加茂社から分霊を迎え、瀬戸風の地(門蔵山)から新屋河内を経て、現在の地に鎮座しました。
延徳2年(1490)の文書に「新屋河内加茂大明神」とあります。中世からの古い社です。
山王八幡宮は、大宝3年(703)豊前国宇佐宮から勧請したといわれています。元禄4年(1691)に現在地に鎮座しました。この2社の合祀については、境内に両社の縁起を記した「宮崎神祠重建記」という立派な碑があります。碑の建立は寛政2年(1790)2月とあります。