清 鏡 寺

清 鏡 寺

 高松山清鏡寺は、戦国時代の末織田信長の中国侵攻のときに、羽柴筑前守秀吉の水攻めで切腹して、毛利氏と家臣を助けた備中高松城(岡山)の城主「清水宗治」の菩提寺です。

 この宗治の功績で、小早川家に預けられていた嫡子景治は、関が原の合戦後に毛利家の重臣として迎えられ、市内の光井や立野に領地を貰いました。(寄組3700石余)

 その後、景治は浅江にあった吉祥寺という寺を、父親の戒名からとった清鏡寺と改称して、宗治の墓を建て位牌を安置しました。

 清鏡寺には、宗治のものと伝えられる陣鐘や鐙(あぶみ)などが奉納されていて寺宝となっています。

 

清鏡寺は、山口十八不動三十六童子霊場の第17番札所、そして周南七福神 札所(恵比寿さま)として指定されています。

           (参考)周南七福神

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清鏡寺

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